厚木市の鳶尾山(211.5m)山頂に1883(明治16)に一等三角点を設置した際の測量に使った「偏心点」が、当時のまま残っていることが分った。国土地理院は、現存する偏心点として国内で2例を確認しており、わが国の近代測量の足跡を記す記念碑的な存在だ。
厚木の鳶尾山山頂に
三角点は測量の基点として国内に約2000地点あり、測量のほか地殻変動の観測などにも利用されている。
明治政府は、1871年に東京府内に13点三角点を設けたのを皮切りに、関東の相武地域を中心にした測量に乗り出し。82年に100点を選定した。
国土地理院によると、測量技術は当初フランス式だったが、同年からドイツ式の本格的な一等三角測量の技術が導入された。同6月に選定された鳶尾山の三角点は、陸軍参謀本部測量局が、わか国で初めて一等三角測量を実施した地点の一つという。
国土地理院「現存は国内で2例」
鳶尾山には83年12月に一等三角点の盤石が埋設され、盤石の上に高さ82cmの御影石の石柱が設置された。偏心点は三角点を決める際の仮測量に使う一時的な標識。鳶尾山山頂の偏心点は、握りこぶしほどの川石を「防御石」として。約20cm四方の四隅に埋設し、真ん中に真ちゅう製の金属標(直径8cm)を埋め込んである。金属標には小さな文字で「偏心点 三角点」と刻まれている。
国土地理院によると、三角点を決めた後は偏心点の重要度が低くなるため、国内各地の偏心点を確認する作業はしていないが、見つかっている現存する偏心点は鳶尾山頂と静岡県浜松市にある2ヶ所だけという。
鳶尾山頂の一等三角点は、山頂近くでの土砂採取のため。1971年、愛川町立中津小グラウンド隅に移設された。このため同町は昨年9月、一等三角点があったとされる地点に「鳶尾山頂」の石碑を建てた。偏心点は、三角点がなくなった今、西欧列国に追いつこうと近代国家への整備を急いだ明治時代の苦労をしのぶメモリアルモニュメントとなっている。
(2002/12/15毎日新聞より)