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地形図を作る際に用いられる三角測量を日本に本格的に導入するにあたって、明治15年(1882年)、当時の内務省地理局が設置した三角点標石がこのほど群馬県の山中で確認された。設置当初の状態で見つかったのは全国でも初めてで、地図愛好者の間で話題を呼んでいる。 |
白髪岩原三角測点
(撮影:AGC会員、遠山元信) |
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測量の歴史を語る明治の遺産
見つかった場所は、同県藤岡市と下仁田町の境界付近を走る御荷鉾スーパー林道から、1時間余り登った尾根線上。この標石を5年以上も探し続けてきた埼玉県深谷市の公務員、飯島仁さん(39)が先月確認した。
標石は御影石でできていて、四角すいの上部を切った踏み台のような形。高さ約40cm、上面は一辺が15cmの正方形で、一辺62cmの台座の石の上に設置されていた。側面に「原三角測點」「明治十五年十月」「内務省地理局」の文字が刻まれていた。
三角点は、地形図作成などに用いられる三角測量の基準点。国土地理院の地形図では三角形の記号で表示されている。日本で本格的な三角測量が始まった明治10年代に内務省が、関東、中部地方に約百点を選び出し、標石を埋めた。その後、測量事業を引き継いだ陸軍が、現在も使われている「一等三角点」を設けることになり、古い内務省の三角点標石はほとんど抜き取られ処分された。
この内務省三角点標石はこれまでも、米山(新潟県)と雲取山(東京都)の二ヶ所で見つかっている。しかし、いずれも設置当初の位置とは異なると推定されている。
これに対し、今回の標石は「白髪岩(シラガイワ)の上に設けられた」という当時の記録どうりの場所で見つかり、設置当初の位置で確認された初めてのケースとなった。
陸軍の測量では、白髪岩は別の場所に一等三角点が設置された経緯がある。このため、以前から地図愛好者たちが「内務省の標石はどこかに埋まっているのでは」と注目、飯島さんは記録を頼りに「標石探し」を続けていた。
元国土地理院測量管理官で「訪ねてみたい地図測量史跡」などの著書のある山岡光治さんは「日本の測量技術を伝える貴重な遺産として末永く保存してほしい」と話している。
(2001/7/29読売新聞より)